妹のようなワンちゃん |
私の場合、写真のアルバムを開いてしまった時!
つい一冊だけのつもりが、結局全部開いて見てしまいました。
本当はいろいろ整理して断捨離したいなぁと思って見ていたのに、見終わったらほっこりした気持ちになって、ダンボール一箱分ぐらい無駄なものがあってもいいじゃないか!となりました。正しくは、無駄に見えて私には無駄じゃないもの、人生を彩ってくれる大事なものです。
ダンボール一箱いっぱいに小学校から大学の卒業アルバムやら写真アルバム、小さい時の宝箱なんかを詰め込んでみました。後から収納スタイルは見直します。もう少し素敵な箱に入れてあげたいなぁと。本当は全部スキャンしてデジタルで保存しようかとも思っていたのですが、アナログはとても見やすいです。
そんな風に引越作業をかなり中断して見ていたアルバムの中で見つけた1枚の写真。
小さい頃からいつも一緒だったワンちゃんです。この写真、毛並みに艶があって綺麗。しっぽもふわふわです。
小学校低学年の時から16年間一緒でした。最後の方は私は一人暮らしをしていたので、途中からは一緒に住んでませんが、旅行も毎回一緒で、犬というより本当妹のような存在でした。小さい時からいつもどこでも一緒だったし、いるのがあたりまえだったので、亡くなった時には家族全員へインパクトがありすぎて、私の兄弟はペットロス症候群のようになってしまうほどでした。(家族全員でペットの火葬をしてくれるところに行き、その後実家に戻り奇跡的に撮ってあった小さい頃のワンちゃんの動画を見て、全員で泣きました。)
でも、最後の2年間は家でほぼ介護生活のような感じだったので、長生きしてくれてありがとうというのと、いつ亡くなってもおかしくないと少し覚悟ができていた気がします。
このワンちゃんが亡くなった時に一人暮らしをしていた私が大急ぎで実家に駆けつけ、毛並みをなでた時にいつもと違って体が硬くなっていて、初めて本当に死んじゃったんだと感じて涙が止まらなかった記憶が今でも強く残ってます。人生で初めて死後硬直をリアルに体験した時でした。
そういえば祖父母が亡くなった時もそんな風に体に触ることがなかったからか全く感じなかったけれど、このワンちゃんはいつも抱っこしてはふわふわで柔らかい感触だったのに、亡くなってからなでたら全く別の感触で、もう二度とあの柔らかいふわふわとした感触には会えないのだなぁと理解した途端に悟ったというか、衝撃的な何かが私の中で起きた気がします。
この感触を思い出したくないのに、黒いワンちゃんが亡くなった時も遠いシンガポールで思い出すのはこの感触のことばかりでした。
と、悲しい思い出ばかり書いてしまいましたが、小さい頃のアルバムを見ると、旅行先で小さなバッグに入ったワンちゃんと一緒に写っていたり、お雛様の前にワンちゃんをおすわりさせて一緒に写真を撮ったり、友人が遊びに来た時は私の膝の上に無理やりのせていたりと、ありとあらゆる写真にワンちゃんがたくさん写っていて、急に幸せな思い出がフラッシュバックしました。
亡くなった時の悲しい思い出はインパクトが強烈なのでついついそちらに引っ張られてしまいがちだけど、その裏にはその何倍もの幸せな記憶があることを忘れたくないなと思います。
やはり、写真アルバム、捨てられませんね。年々記憶力が下がってる私にいろいろ思い出させてくれる宝物です。
人生は無駄に見えるものがあってこそ、心豊かになるものかもしれません。